東日本大震災の犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます。
かつて仙台に住んでいたことがあり、被災の中心となった東北地方には思い出が一杯ある。
大学の新入生歓迎の深夜マラソンで、ゴールした松島海岸で迎えた夜明けは、清々しい風景だった。会津で道に迷い夜遅くなった時、親切に泊めてくれ食事までご提供頂いた民宿への感謝の気持ちは、いつまでも忘れない。三陸海岸では、目の前を高くそびえる防波堤の強い圧迫感に、半ば立ちすくんでしまった。
津波への備えは万全だったはずなのに、想定上回る自然の力は恐ろしいものです。当時お世話になった方々、親しくしていた方々も、3月11日に何名かがお亡くなりになっていると思う。
今回の大震災で犠牲となった方々を追悼しようと、写経を始めた。般若心経の手本、写経用紙、筆ペンを一式揃え、小・中学校でやった習字の要領を思い出しながら取り掛かる。昔々の複雑な旧漢字を、写経用紙の狭い罫線に収まるよう小さく書くのには、ずいぶん悪戦苦闘した。
入門2カ月後、ようやく全276文字を最後まで潰さずに書けた苦心作です(写真)。安らかにお眠り下さい。黙とう!
【般若心経の現代語訳】
悟りの境地に至るための教えを説く『般若心経』
観音菩薩は、悟りの境地に至るための知恵『般若波羅密多』を求め修行中に「あらゆる物質と心(五蘊:左記の色・受・想・行・識)は、時とともに様相が次々と変わってゆく『空』という真理に基づくんだ!」と分かり、すべての苦しみをとり除いた。そして、以下のように説く。
「舎利子(釈迦の弟子)よ。形あるものは変化してやまない『空』であり(色即是空)、『空』であるからこそ一時的な形をみせている(空即是色)。
感覚(受)・知覚(想)・意志(行)・判断(識)といった精神も、同様に揺れ動く『空』だ。」
「舎利子よ。森羅万象は『空』である(諸法空)。
その示す姿は絶えず移り変わってゆくが、その本質は化学反応時の原子のように生じることも滅することもなく(不生不滅)、汚くもなければ清くもなく(不垢不浄)、増えることも減ることもない(不増不減)。
不変の真理というものは、森羅万象が変化してゆくなかの根底にある。
このような『空』の真理のもと、肉体(色)も精神(右記の受・想・行・識)も本質的な実体でなくその影にすぎない。感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身)も心(意)も、これらが感じる対象(色・声・香・味・触・法)も、迷う心の影だ。」
「迷いやこだわりも本質的なものでなく次々と映し出される一時的な影だから、それらは尽きることがない(無無明尽)。老いと死も同様だ(無老死尽)。
だから、苦しみとその原因の煩悩をなくす方法は、なかなか見つからない(無苦集滅道)。そもそも、悟りもそれを得ようとする人の自我でさえ実体でなく影だから、そのことに気づかない限り、人が悟るのは難しい(無所得)。
迷いから脱却し悟りの境地に至るためには、迷いを迷いとしてありのままにとらえやり過ごすよう心掛け、迷いと悟りの対立を超えた域に達することが大切。
そのような広く柔軟な姿勢でもって、こだわらない境地を得るための知恵が『般若波羅密多』だ」
菩薩は、この真の悟りの境地への知恵『般若波羅密多』を身につけているから、心にこだわりがない(無罣礙)。こだわりがないため、恐いものはない。すべての誤った考えを遠ざけ、心安らかな境地に達している(究竟涅槃)。
過去・現在・未来の仏たち(三世諸仏)は、『般若波羅密多』をよりどころに、この上ない正しい目覚め(阿耨多羅三藐三菩提)を得る。だから、次のことを知っておくとよい。
悟りの境地に至るための知恵『般若波羅密多』は、人知を超えた偉大な言葉(大神呪)、心を明るくしてくれる言葉(大明呪)、この上ない言葉(無上呪)、匹敵するものもないほど素晴らしい言葉(無等等呪)。
それにより一切の苦しみを取り除くことができる。偽りのない真実だ。その古代インド語の呪文は次のとおり。
「ギャーテーギャーテー(羯諦羯諦)、ハーラーギャーテー(波羅羯諦)、ハラソーギャーテー(波羅僧羯諦)、ボージーソワカ(菩提薩婆訶)」
『般若心経』
<解説>
3-4世紀の古代インドで生まれた般若心経は、悟りの境地に至るための知恵(般若波羅密多)とは、森羅万象(諸法)であると説く。
時とともに変わってゆく森羅万象の示す様相は、本質的な実体ではない。その根底にある変化への原動力が、『空』という真理だ。
不変の真理が絶えず移り変わるなかにあるとの思想は、「万物は流転する」と唱えた古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトス(前5-6世紀)の影響と見受けられる。
また、鎌倉時代の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」で有名な鴨長明の『方丈記』(13世紀)、近代ドイツの「存在の本質は無(=空)である」で始まるヘーゲル著『論理学』(19世紀)へ受け継がれている。
『空』の真理のもと、心も実体でなくうつろな影にすぎないため、人は心のなかを必死に探しても本当の自分を見つけらない。
むしろ、自分にこだわらない柔軟な姿勢で、広大な自然に包まれる機会などを活かし、森羅万象のなかに自分の在りようを見出すことが大切だ。
2011年5月29日
(2015年6月1日:般若心経の解説を加筆修正)
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