企業価値評価の第2関門 割引率とβ

割引くときの利子率がこんなに高いのはぜ?

2017年4月25日(火)アナリスト工房

20年以上も前に筆者が銀行へ就職したときの給与振込口座は、利子率がなんと年6%。低金利時代のいまでは懐かしい超高利回りですね。ただ、お金が貯まる前に自動車を買ってしまった新人時代の筆者は、金欠のため残念ながらその福利厚生の恩恵をほとんど受けられませんでした。

そんな高い利子率が21世紀のいまも健在なのは、企業価値評価の分野で使う”割引率”の世界です。その水準は平均5〜6%で、預金の利回りにはあまり左右されません。割引率とは、将来の株式の配当あるいは会社の収益を割引く(将来の配当や収益の価値を現在の価値へ換算する)ことにより、株式の理論価格(適正な価値)を求めるときに適用する利子率です。

前回は、この分野への入口として割引くとは何かを取り上げました(企業価値評価の第1関門 割引くとは?)。今回は、割引く際に用いる割引率のつくりを説明のうえ、その水準を決める"β(ベータ)"の正体を明かします。

1.割引率は無リスクの土台に大きな株式リスクを乗せて築く

はじめに、会社の資産・負債・純資産(=資産-負債)の額がすべて時価で計上されているB/S(貸借対照表)を想像してみましょう!企業価値評価の分野では、この時価B/Sの資産額が会社の"企業価値の全体"、うち債権者に帰属する負債額が”負債価値”、株主に帰属する純資産額が”株主にとっての企業価値”といいます(図表)。なかでも株主にとっての企業価値が、会社の株式の理論価格(株式時価総額の適正水準)です。

株式の理論価格を求める計算方法は、a)株主にとっての企業価値を直接計算する方法(DDM(配当割引モデル)など)、b)企業価値の全体をはじめに計算のうえ負債価値を控除する方法(割引FCF(フリーキャッシュフロー)モデルなど)、の2つ。

それぞれの方法で用いる割引率は、a)株主からの資金調達利回りに相当する「株主資本コスト(自己資本コスト)」、b)株主資本コストおよび債権者からの資金調達利回り「負債コスト(負債利子率)」です(*)。

これらの割引率のうち上記aの全体かつbの一部をなす株主資本コストは、会社の株主からの調達利回りであるのと同時に、株主の株式投資での期待収益率、市場が会社へ要求するROEに等しい。その水準は、証券投資論のCAPM(資本資産評価モデル)に沿って、リスクのない安全資産の利回りをベースに株式投資のリスク分を上乗せしたものです(次式)。

株主資本コスト=安全資産の利回り+株式投資のリスク分

=無リスク利子率+市場リスクプレミアム×β

・無リスク利子率: 長期金利(国債利回り10年物)

・市場リスクプレミアム: 株価指数のリスクに対する上乗せ利回り

・β: 株価指数に対する会社の株式のリスク倍率

まず、ベースとなる安全資産の利回りは、”無リスク利子率(リスクフリーレート)”といいます。将来の長期にわたる配当あるいは収益に適用するのにふさわしいそれは、長期金利(国債利回り10年物)です。

また、ベースに上乗せされる株式投資のリスク分は、市場の株価指数(TOPIXなど)へ投資した場合のリスクに対する上乗せ利回り”市場リスクプレミアム”と、株価指数に対する会社の株式のリスク倍率”β(ベータ)”の積で表されます。

例えば、無リスク利子率(長期金利)が1%、市場リスクプレミアムが5%のとき、βが1.2の電子部品T社の株式の株主資本コストは7%(=1%+5%×1.2)。

リスクのない安全資産の利回り(長期金利1%)は比較的低い一方、株式投資の大きなリスクに見合う上乗せ利回り6%(=株価指数に対する市場リスクプレミアム5%×それに対するT社株のリスク倍率β1.2)はずいぶん高い。このように、株主資本コストは低金利時代のいまでも超高水準なのです。

将来の価値をそれよりも低い現在の価値に換算する「割引く」とは、坂の上にある将来の目標地点から現在地を見下ろすことに例えられましょう。このとき適用する「割引率」は坂の勾配に相当します。現在地から見上げる目標地点への坂が将来の不確実性により急勾配であることから、資金を調達する会社も運用する株主も目標達成のためには並大抵でない工夫と努力が要求されるのです。

2.各社の割引率を左右するリスク倍率βの正体と活用

割引率の株主資本コストを構成する3つの要素(無リスク利子率、市場リスクプレミアム、β)のなかで、無リスク利子率は国債市場の相場(国債利回り10年物)があるのに対し、相場のない市場リスクプレミアム(株価指数のリスクに対する上乗せ利回り)は株式市場全般の動向を踏まえ推定します。

その水準は、おおむね2.5〜8%の範囲で時とともに変化しており、長期平均が5〜6%程度。株価の先行き不確実性が高く市場参加者がリスクを負うことに慎重なときほど、市場リスクプレミアムは高水準の傾向がみられます。

残るβ(株価指数に対する会社の株式のリスク倍率)は、過去の株価データを用いてスプレッドシートで計算します。このリスク指標は、「リスクに見合ったリターン(収益率)」の考え方に基づき、株価指数の収益率が上昇したとき会社の株式の収益率がその何倍上昇するかの傾向でもって求めることができます。

結果、βの正体(証券投資論での定義)は、株価指数に対する会社の株式の相関(収益率変動の類似性)を織り込んだリスク倍率です(**)。そこに相関が含まれているのは、投資家が株価指数につられて負ける危険を反映させるためです。株価の変動が激しく、しかもその動きが株価指数とよく似ている会社の株式のβは大きい

坂の上にある将来の目標地点から現在地を見下ろすときに適用する「割引率」は、その坂の勾配に相当します。勾配の度合いを決める3つの要素(無リスク利子率、市場リスクプレミアム、β)のなかで、会社により異なるのはβのみ。このリスク指標βを変えることで、ずいぶん急な坂の勾配をいくらか緩やかにすることが可能です。

投資家のポートフォリオのβは、そのなかの各社株式の組み入れ比率を変えることにより、リスク・リターンをコントロールできます。それぞれの会社は、IR(投資家への情報開示)の最大目的「市場に適正な株価形成を促す」に注意を払った開示を行うことにより、株価の投機的な動きを阻止することを通じて、βとともに市場から要求されるROEを抑える効果が発揮できるでしょう。

現在地から見上げる目標地点への坂が急勾配とはいえ、そこには資金を運用する市場参加者も調達する株主も目標達成のための知恵と工夫の余地があるのです。坂の勾配を測ったうえでそれをつくり変える、そんな奥の深い割引率とβの世界へようこそ!

アナリスト工房 2017年4月25日(火)記事

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*)企業価値の全体をはじめに計算のうえ負債価値を控除する方法(割引FCF(フリーキャッシュフロー)モデルなど)で用いる割引率は、「株主資本コスト」と債権者からの資金調達利回り「負債コスト(負債利子率)」を純資産額と負債額で加重平均した”加重平均資本コスト(WACC)”。

負債コストは、会社の利払いを伴う有利子負債が対象。利払いによる負債の節税効果が反映するよう、税率控除後の負債コスト「負債コスト×(1-税率)」を使用。加重平均は、時価の純資産額(市場の株式時価総額)および有利子負債額(市場のある社債などはその時価を使用)で行う。

**)例えば、過去3年間の毎月の株価指数の収益率と会社の株式の収益率の関係をグラフ(横軸:株価指数の月次収益率、縦軸:会社の株式の月次収益率)に描き、全36個のプロットを近似直線で結ぶと、その直線の傾きがβ。このとき最小2乗法を用いて、近似直線と各プロットの距離の2乗合計が最も小さくなるよう直線を描くことにより、βの正体(証券投資論での定義)が判明する。

それは、「株価指数の収益率の標準偏差(相場の変動度でみたリスクの大きさ)」に対する「会社の株式の収益率の標準偏差」の倍率と、「株価指数の収益率と会社の株式の収益率との相関係数(相場変動の類似性)の積で表される。

例えば、収益率の標準偏差が株価指数18%・T社株式27%、株価指数とT社株式との収益率の相関係数が0.8のとき、βは1.2(=(27%/18%)×0.8)。