筆者は、共同体主義者ではありませんが、サンデル氏の講義を重宝しています。そこで展開される”白熱教室”では、世の中の主な思想に効率良く触れられ、物事を考える際の参考になるからです。
サンデル氏は、各回のテーマ(例:市の命名権売買)について、持論の共同体主義の立場からの意見を一方的に押し付けることはありません。対立する効用主義者(功利主義者)と自由主義者(リバタリアン)からの反対意見も紹介され、それらと比較しながら議論が展開してゆきます。
登場するこれらの思想は、学生の時は試験前に丸暗記するだけの味気ない存在ですが、社会人としての論理的思考を養うために大切な科目です。最近のテーマに関する議論が白熱してゆく中で、かつての暗記科目が活き活きと蘇ってくるのが、白熱教室の魅力と言えましょう。
今回は、そこに登場する3つの思想(効用主義、自由主義、共同体主義)を、現代の言葉で簡単に整理してみます。
効用主義は、期待できる満足度としての「効用」が最も大きな策を選ぶことで「最大の幸福」を追求する考え方です。効用主義者は、候補のそれぞれの策についてメリットからデメリットを差し引いた効用を推計し、その値が最も大きな策を選択します。
前作「JUSTICE」は市場参加者の筆者にも大変参考になりました
例えば投資の世界では、期待できる平均的な収益率としての「リターン」がメリット、収益率の不確実性の度合いとしての「リスク」がデメリット、両者の差が効用です。リスクを抑えながらリターンを追求したいニーズをもつ一般的な投資家は、効用の値が最大となる銘柄を選択ぶのが鉄則です。
自由主義は、他者の権利を侵害しない限り、個々の自由な行動が許されるとの考え方です。そこでは、必要最小限の規制と自己責任の原則の下、経済活動での「自由の尊重」が守られることを重視します。
投資の世界では、法令等に反しない限り自由にトレードできる市場で、巨額の富を狙い勝負する「ヘッジ・ファンド」が典型的な自由主義者です。
また彼らは、上記一般の投資家と同様にリターンとリスクに基づく投資戦略をとることから、効用主義者でもあります。このように、市場参加者の間では、効用主義と自由主義が主流と見受けられます。
効用主義者と自由主義者は、会計の世界でも主流派となってきています。市場参加者が金融商品の価値を測ること重視した”時価主義”の会計制度への流れが加速しているからです(当HPの「時価主義」参照)。会計は「ビジネスの基本」なので、効用主義と自由主義はビジネスの世界に広く浸透してきていると言えましょう。
効用主義と自由主義の長所は、追求する目標(リターンや富)が数字で表されるため、判断の基準が明確な点にあります。
議論のテーマ(例:財政の厳しい市の命名権売買に賛成か反対か)について、彼らはリスクに対するリターンの比率の高い方の策、あるいはリスクに積極的に挑み比較的大きな富を追求できる策(いずれも財政を補うために命名権売買に賛成)を選択すれば良いのです。
利益の期待できる策を選ぶことで、それを積極的を実行してゆく力(市が命名権を高く売るための知恵と工夫)も大きく働きます。時には利益重視が行き過ぎて暴走するケースも見られますが、明確な判断基準で速やかに意思決定の上で実行できることが、効用主義と自由主義の大きな長所です。
一方で共同体主義は、国や地域の絆と助け合いを重視し、社会の「共通善(道徳)を高める」ことを目標とします。利益重視の効用主義と自由主義に対抗して生まれた思想です。効用主義者と自由主義者が共通善(社会的な正義)を著しく損なう危険がある場合には、彼らの暴走に一定の歯止めを掛けることも大切でしょう。
ただし、善・道徳・正義といった曖昧な判断基準に基づく共同体主義者は、物事の一面だけで意見表明しがちな欠点があります。
例えば、「市民のアイデンティティが犠牲になるため市の命名権売買に反対」との意見の方々には、命名権売買の否定的な面しか見えていません。市の名前が変わるデメリットと財政収入が増えるメリットのどちらがどれだけ大きいかを比較せず、デメリットのみに着眼した意見と見受けられます。
金銭的に厳しい現実に目を背けたまま、問題解決を先送りしようとする彼らの姿勢が気掛かりです。
このように「何がどの程度の共通善か?」が不明確な共同体主義は、それだけでは物事を様々な角度から合理的に判断できません。いかなる策にもメリットとデメリットがありますが、共通善の尺度が曖昧なためメリットとデメリットが正確に測れず、双方を比較しての結論を導きづらいからです。
このままでは、賛成派と反対派はいつまでも平行線のまま。特に、多数決よりも皆の総意を大切にする我が国では、なおさら議論を重ねても結論には至りません。
とは言え、時々暴走する効用主義と自由主義の欠点を補うためには、共同体主義の長所を取り入れることも大切です。
実は、我々アナリストを取り巻く世界では、共同体主義のコンセプトを上手く活用しているケースがよく観察されます。
次回に続く(2012年6月19日)