「社会正義のための道徳と生産利殖とは、まったく合体するものである。・・・私は論語をもって事業を経営してみよう。」
~「渋沢栄一自伝」(守谷淳 編訳)より抜粋 ~
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国が産業政策にきめ細かく関与する”国家資本主義”の発祥は、1870年代(明治維新の直後)の日本です。「欧米に追いつき追い越せ」と、当時の明治政府は近代産業を育成を強力に推進していました。
その国策に最も協力した民間人は、冒頭の渋沢栄一です。渋沢は欧州への産業視察と大蔵省(現代の財務省)での予算編成の経験を活かし、立ち上げた大企業は軽く100社を超えています(現代のみずほ銀行、東京海上日動火災、サッポロビール、日本郵船、東京ガスなど多数)。
これらの企業経営に当たり、渋沢は「道徳・経済合一説」を公表し、それを実践しました。日中共通の国家資本主義の原典となった道徳・経済合一説とは、一体どのような理念なのでしょう?
渋沢栄一の「論語と算盤」。国家資本主義と共同体主義の源流です
渋沢は「本当の経済活動は、社会のためになる道徳に基づかないと、決して長く続くものではない。」【脚注】と、それまでの常識では相反する2つ(経済活動と道徳)を両立させる必要を説きました。
国を豊かにするための経済活動ではありますが、一部の資本家を潤すだけでなく多くの人々と社会全体の利益になってこそ、それが長期にわたり有効な国策として機能してゆくと考えたからです。英国の産業革命での労働争議、米国の奴隷制度の崩壊から学んだ教訓と見受けられます。
産業推進に注力した経済活動では、起業家が事業リスクをとって利益を追求する「資本の論理」が欠かせないため、自由主義と効用主義が主体です。ただし、経済活動の成果を国民と社会に広く還元することも重視している点で、社会の共通善(道徳)を高めることを目的とした共同体主義の要素が反映されています。
渋沢が共通善の規範として採用したのが、当時の世の中に幅広く浸透していた儒教の教えです。儒教の徳とする「仁」(思いやり)や「礼」(年長者を敬う)を企業経営の取り入れ、これらの理念は後に年功序列や終身雇用の制度を生み出しました。
産業推進で国が豊かになるためには、会社が労働力を長期にわたって安定的に確保してゆく仕組みが大切です。そのための年功序列や終身雇用には、労働者が安定した賃金でいつまでも働くことができる大きなメリットもあります。
このように自由主義と効用主義に基づく産業推進のための施策は、同時に社会の共通善を高める共同体主義の目的にも上手く活用できます。そのことに日本の大企業群を生んだ渋沢が見出したお陰もあって、今でもわが国の失業率はG8(先進8カ国)の中で一番低く雇用が比較的安定しているわけです。
前回の「サンデル講義3」で取り上げた中国の国家資本主義は、明治時代に渋沢が築き昭和時代の高度成長をけん引した日本の国家資本主義を手本としています。産業推進の国策を担う主体が国営企業か国の意向をくんだ民間企業かの違いはありますが、3つの思想(自由主義、効用主義、共同体主義)を上手く組み合わせて実践し、世界第2位のGDPへと飛躍した点は日中共通です。
ともに資本の論理や市場の原理に100%委ねることなく、国が直接あるいは行政指導などを通じて間接的に関与することで、起業家の暴走に一定の歯止めを掛けています。その際に共同体主義の考え方に基づき、社会の共通善が損なわれないかをチェックするわけです。
サンデル氏の持論とする共同体主義は、おなじみの論語ならびに渋沢理論との共通点が多いこともあって、わが国でも若者層を中心に共感を集めています。ただし、渋沢は「社会のためになる道徳といっても、一歩間違えば国を滅ぼす」【脚注】と、注意書きを残しました。
共同体主義の活用は、先日のサンデル氏の講義の参加者への"宿題"でもあります。そこで最後に、筆者からのその"解答"を紹介します。
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3つの思想(自由主義、効用主義、共同体主義)は、互いに知恵を出し合い短所を補い合って機能します。これまで紹介してきた日中の成功事例では、自らの利益を目的とする自由主義の枠組み、メリットとデメリットに基づく効用主義の意思決定法と一緒に、共同体主義がチェック機能の役割を果たしています。
逆に、典型的な失敗事例は2010年からの「アラブの春」。チュニジア、エジプト、リビアの共同体主義者は、デモと抗議活動でそれまでの政権を倒し、政治へのチェック機能の役割を果たしました。しかし、自由主義を嫌悪する彼らは利益を犠牲にし、 頭の中に"算盤"がないため代わって政権運営してゆくための意思決定すらまともにできません。
結果、これらの国々では今も混乱が続き、前政権時代よりも深刻な貧困が続いています。このように共同体主義は、決して単独では機能しません。
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渋沢の注意書きのとおり、共同体主義の間違った活用法は国を滅ぼすことがお分かり頂けたと思います。将来のわが国がそのような事態に陥ることのないよう、皆さんも気をつけましょう!
2012年9月7日
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【脚注】の2箇所は、渋沢栄一 著「論語と算盤」(守谷淳 編訳)より抜粋.