有事のドル売りと米政権の協調介入
ホルムズ海峡のドタバタ劇が、トランプ貿易戦争の為替編と絶妙に連携
2019年7月25日(木)アナリスト工房
トランプ大統領は7月18日、米海軍の強襲揚陸艦「USSボクサー」がホルムズ海峡でイランのドローン(無人偵察機)を撃墜したと発表。直後の市場では、米ドルが他の主要通貨に対し軒並み急落。基軸通貨ドルの価値が揺らぐと買われる傾向をもつ貴金属の金は、NY市場先物の中心限月が一時1454.4ドル/オンスまで急騰し、2013年5月以来の高値をつけました。
中東の有事に米軍が関与することを嫌気した市場の金買いを伴うドル売りは、典型的な"有事のドル売り”の現象ですね。しかも今回は、現地でのアメリカの軍事覇権が失われたことを痛感したドル売りだけでなく、トランプ氏の政策目標(海外からの米軍撤退、ドルの価値切り下げ )のためにあえて即バレ失敗を意図した下手な嘘に苦笑したドル売りもみてとれます。
▼イランの「幻のドローン」が、米軍撤退とドル安潮流を後押し
今回の米軍によるイランのドローン撃墜騒動は、6月にイラン南部を領空侵犯した米海軍のドローンがイラン革命防衛隊の地対空ミサイルに撃墜されたことへの報復と見受けられます。米政権は当初、レーダーに捕捉されないはずのステルスモードで飛行中だった米軍ドローンを撃ち落とした、イラン防空システムへのサイバー攻撃に踏み切りました(対イラン開戦中止は米軍撤退の前兆)。
しかしアメリカのサイバー攻撃の試みは、イランのジャフロミ情報通信技術大臣によると、セキュリティの壁を破れず撃退されたのです(6月24日公表)。
いまの米軍は、中東から米軍を撤退させたいトランプの支持者が大半を占めるますが、現地の利権にしがみつきたい軍産複合体(戦争屋)の息がかかった輩もけっして少なくない。7月18日の「幻のドローン撃墜騒動」は、互いに意見の異なる彼らが大統領を巻き込み共同で引き起こしたドタバタ劇とみてとれます。
米強襲揚陸艦USSボクサーの電波妨害装置によりドローンを1機撃ち落とされたはずのイランは直後、ドローンをまったく失っていないとの声明を公表しました(下記)。
「イランは、ホルムズ海峡でも他の地域でも、ドローンをまったく失っていない。USSボクサーが米軍自身のドローンを誤って撃ち落としてしまったのでは、と私は心配している」
イランのアラグチ外務次官(Jul 19th 2019)Twitter
そもそも、当時USSボクサーに乗船し甲板で取材中だった米WSJ紙の記者は、イランのドローンが撃墜されたとの光景を、目視によりまったく確認できなかったのです(下記)。
「そのとき、ボクサーのトップデッキでは海兵たちが位置を測定しながら『ドローンだ!』と叫んでいたが、ドローンとその撃墜の様子は裸眼では見えなかった」
WSJ記事『U.S. Navy Flotilla Encounters Iran in Strait of Hormuz』
Jul 19th 2019
「ドローン撃墜」がアメリカの演出した幻であることを示す映像を暴露したのは、イラン国営のプレスTVでした。7月19日にプレスTVが公開したイランのドローンによる撮影とみてとれる動画は、米強襲揚陸艦USSボクサーへ接近していく場面からはじまり、その甲板上の風景を鮮明に捉えながらじっくり偵察のうえ、ボクサーから十分に遠ざかっていくまでが収録されています。
その一連の場面がタイムスタンプ(時刻認証)付きであることからも、イランのドローンは実は米軍に撃墜されず無事帰還したと見受けられます。結果、6月にイラン革命防衛隊が撃ち落とした米軍のドローンMQ−4Cと一緒に飛んでいた35人搭乗中の有人偵察機P−8を撃墜せず見逃してくれたことの借りを、1カ月後に米軍は返したのです。
もしもUSSボクサーがイランのドローンを撃ち落とし開戦に踏み切った場合には、米軍はかなり手強いイラン革命防衛隊を相手に長引き泥沼化する苦戦を強いられる可能性が高い。そんな不本意な事態に陥るのを防ぐために、米軍を中東から撤退させたいトランプ政権のメンバーと対イラン開戦を避けたい現地の軍人たちが、機転を利かせ有事ドタバタ劇を演じたと推察されます。
なおハント英外相は7月22日、ホルムズ海峡を航行する船舶の安全確保のために、欧州諸国による有志連合の構想を発表。この英国主導のホルムズ海峡警備の構想は、すでにフランス、ドイツ、イタリアなどが賛同への意向を示したことから、実現する可能性が高い。
英国主導の有志連合構想に招かれていないアメリカは、中東を欧州勢にまかせ、まもなく(9月1日までに予定されている米軍とアフガニスタンの武装勢力タリバンとの停戦合意をきっかけに)現地からの米軍撤退を加速させるでしょう。
▼貿易不均衡の是正策「ドル切り下げ介入」の有力な協調先は日本
あえて即バレ失敗を意図した下手な嘘のドタバタ劇が"有事のドル売り"を招いたのは、対米黒字国との貿易不均衡を是正するためにドルを切り下げたいトランプ大統領の狙いどおりです。
アメリカが最大貿易相手、中国との関税上乗せ合戦などによる貿易戦争を18年下期からエスカレートさせてきたにもかかわらず、19年1−6月の中国の対米貿易収支が1405億ドル(前年同期比5.7%増)とますます拡大しています(下記)。貿易戦争を仕掛けた側のアメリカが不均衡をなかなか是正できないのは、いったいなぜでしょうか?
【中国貿易統計 2019年1−6月】 中国海関総署 7月12日公表
・対米輸出:1994億ドル(前年同期比 8.1%減)
・対米輸入: 589億ドル(前年同期比29.9%減)
・対米収支:1405億ドル(前年同期比 5.7%増)
為替市場の米ドルが超割高なので、アメリカの輸出品は輸入品に対し競争力が乏しいのです。貿易黒字国の稼ぎが対米証券投資でキャッシュバックされる長年の悪い慣行のもと、黒字国の豊富な投資マネーがアメリカへ向かうときに生じる大量のドル買いが、市場のドルの価値を実力にまったく見合わない高水準へ強引に押し上げてきました。
英エコノミスト誌の購買力平価「ビッグマック指数(7月10日公表)」によると、中国元に対する1ドルの理論価格は3.66元。一方、1ドルの市場実勢は6.88元なので、市場のドルは元に対しなんと88%も超割高(=6.88/3.66−1)。なお円に対しては、ドルが60%割高なのが実情です(下記)。
【ビッグマック指数*)】 英エコノミスト(Jul 10th 2019)
・中国元:1ドルの理論価格は3.66元、市場価格6.88元は88%割高
・日本円:1ドルの理論価格は67.9円、市場価格108.8円は60%割高
・ユーロ:1ドルの理論価格は0.711€、市場価格0.892€は25%割高
すなわち貿易不均衡の是正に向けて、米国製品が日中の製品と同じ価格競争力をつけるためには、米中貿易戦争で適用されている最高25%の追加関税では不十分。1ドルあたりの市場価格を理論価格の水準(3.66元、67.9円)まで4割前後切り下げる必要があるのです。
不均衡是正を急ぐトランプ大統領も、中国と欧州の為替操作を非難するだけでなく、対米黒字諸国と対抗するためにアメリカが大規模な為替操作に踏み切る必要性を強く説いています(下記)。
「中国と欧州は、大規模な為替操作ゲームを楽しんでおり、アメリカとの競争のために市場へ大量のマネーを供給している。アメリカも同じゲームで競うべきだ!」
トランプ米大統領(Jul 3rd 2019)Twitter
超割高なドルを理論価格の水準まで劇的に引き下げるのに最も有効な為替操作は、当局が為替市場で直接ドルを売却するドル売りの為替介入です。
アメリカの為替介入の原資は、これまで財務省の為替安定化基金(ESF)の資産とFRB(米連邦中銀)の資金でした。しかし今回は、黒字国からの対米投資マネーで潤い続けたい一部の金融筋の頂点に立つFRBがドル防衛をあきらめきれないなか、アメリカの介入原資はわずか945億ドルの財務省基金の一部しか利用できない可能性が高い。
そこで、今回のドル売り介入が実施される場合には、アメリカ単独ではなく友好国と一緒の協調介入となると想定されます。友好国の介入原資は外貨準備のドル建て資産(米国債など)なので、協調為替介入の主な担い手は外貨準備が豊富な国です。外貨準備ランキング首位の中国はアメリカの友好国ではないため、2位の日本が協調介入の主力となるでしょう。
前回2011年10−11月の協調介入では、日本の当局が担った規模は1200億ドルでした。いまのトランプ大統領の為替操作国リストに唯一の量的緩和国ニッポンが含まれていない(上記)理由は、友好国のなかで資金力No.1の日本との協調介入を図る予定のためと推察されます。
日本当局のドル売り介入は、外貨準備のドル建て資産を売却して得られたドル資金を為替市場の取引相手へ支払う”ドル売り"と、同時にその取引相手から日本円を受け取る”円買い"から成る。ドル売りはドルの価値を強引に押し下げ、円買いは同様に円の価値を押し上げるとともに日銀量的緩和で放出された円資金を市場から回収し緩和を打ち消します。
来たるドル売り協調介入は、米政権の目的どおり貿易不均衡是正のためのドル安を導くだけでなく、2008年12月から国家破たんを招く危険の高い量的緩和をダラダラと続けている日本が緩和を終える良いきっかけとなるでしょう。
アナリスト工房 2019年7月25日(木)記事
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*)英エコノミスト誌の公表データは、ドル以外の通貨がドルに対し何%割安かが記されています。中国元はドルに対し47%割安(=3.66/6.88−1)。同様にして、ドルに対し日本円は38%割安、ユーロは20%割安。
本稿ではこれらの数値は、ドルの割高度をみるために、ドル以外の通貨に対しドルが何%割高かを表す値へ変換しました。