ヘリコプターマネーは悲劇の緩和策
2016年4月11日(月)アナリスト工房
自然とのふれ合いのなかで、人はいろいろなことを学びます。
山登りの好きな筆者がよく行く北海道大雪山では、キタキツネにエサをやってはいけないことが、登山の注意事項の1つです。大雪山黒岳の山頂では、物欲しそうな子ギツネが登山者に寄ってきますが、絶対に弁当やおやつを分け与えてはいけません。
人間の食べ物の味を覚えてしまうとキツネは、自分でエサを獲る努力を怠るようになり、人々に頼らなければ生きていけなくなるからです。やがて冬の訪れとともに登山者が激減したとたん、飢えと寒さで死んでしまいます。
人間がキツネに与えるエサと同様に、依存性の高い危険をはらんでいる毒薬が、いま日欧で検討されている今回のテーマ「ヘリコプターマネー」です。
米国の経済学者フリードマン(1912-2006)が考案したヘリコプターマネーとは、景気テコ入れのために、国家がお金を刷って国民にばらまく金融・財政政策です。量的緩和(中央銀行が国債などを買い取ることにより市中へ資金供給する金融政策)の別名「プリントマネー」と同じく、いかにもとんでもない奇策の名称ですね。
1.国民へ直接配るお金は天下の回りものに。通貨安効果を高める狙い
税収の乏しいなか国が莫大なお金を刷って発行する点では、ヘリコプターマネーは量的緩和と共通。どちらも、その国の通貨価値を引き下げることを通じて、産業競争力ならびに経済を上向かせるための手段です。
一方、大きな違いがあります。量的緩和は中央銀行が刷ったお金でもって金融機関から国債を買い取ることによりそのお金を市場へばらまくのに対し、ヘリコプターマネーのお金は政府がベーシックインカム(最低限の生活に必要な毎月のお金をすべての人へ)あるいは臨時給付金を支給することにより国民へ直接まくことです。
量的緩和でばらまかれているお金の大半は「中央銀行預け金(民間金融機関の中央銀行への預金)」に滞っているのが現状に対し、ヘリコプターマネーのお金はすべて国民に行き渡ります。
国民が受け取ったそのお金を貯め込まず消費支出に回せば、一時的な経済の活性化とともに、消費需要の拡大に伴うインフレへの要因。また、天下を回るお金が増えることによる1通貨単位あたりの(わが国の場合には1円あたりの)通貨安でもって、輸出企業の業績が上向く効果が期待できます。
スイスでは、貧富の差に関係なく成人国民の全員に毎月2,500フラン(28万円)を給付することを決める国民投票が、今年6月に実施予定。同法案が可決されれば、国を挙げた初のベーシックインカムでのヘリコプターマネーが実現です。
その伝統ある工業国の狙いは、次の2つと見受けられます。
1つは、スイス中銀の為替介入が効かなくなってきたことによりユーロに対し大きく切り上がってしまった自国通貨フランを、ヘリコプターマネーの通貨安効果でもって是正すること。もう1つは、自国通貨安への誘導を通じて、主力の時計産業などの国際競争力を取り戻すことです。
2.国民の稼ぐ力を奪い、国力低下への大きな副作用も。エサをやるな!
日本とユーロ圏でも、ヘリコプターマネーの導入を検討中との観測が市場で浮上してきました。その背景には、従来の量的緩和も新たなマイナス金利(中央銀行預け金に負の利子率を適用)も効果が発揮できなくなり、これまでの政策が手づまりとなってきたことがあります(手づまりの日銀とECBの金融緩和)。
今年になって円もユーロも通貨安への誘導がままならず、すでに実質破綻していると推察される米国のドルを支えられなくなってきました。そこで、残っている唯一の緩和手段がヘリコプターマネーなのです。
うちユーロ圏については、その中核国ドイツがさらなる緩和に強く反対しているため、ヘリコプターマネーの実現は難しい。
ECB(欧州中銀)が刷ったお金を国民へ配る役割を担う各国政府が引き受けない限り、この金融・財政政策は成り立ちませんからね。そもそも、「財政収支均衡の原則」をきちんと守り財政黒字を保っているドイツは、大きな財政悪化を招く毒薬に協力する可能性が極めて低いのです。
一方、政府債務残高のGDPに対する比率がワースト1位の放漫財政国ニッポンでは、若者を対象とした買い物クーポンなどの形式で、ヘリコプターマネー実施への観測が強まってきています。
その受給対象となる国民が生活費の多くをヘリコプターマネーに依存した場合には、自分自身でお金をたくさん稼ごうとする前向き姿勢が崩れることが最大の懸念材料です。
国民の労働意欲が失われると産業競争力が損なわれ、企業業績の低下とともに賃金が下落。結果、国家の税収が減るなかで国民のヘリコプターマネーへの依存度がいっそう強まるため、財政がますます悪化してゆきます。
やがて国家破たんを未然に防ぐために(あるいは破たん直後に)ヘリコプターマネーが打ち切られると、ハシゴを外された国民はもう生きていけません。
厳しい冬はいつか必ず訪れます。その前に、北海道のキツネの事例と教訓(冒頭)を政策に活かしていただきたい。いまさえ良ければと安易にエサを与えるのではなく、将来に向けてエサを獲る知恵と工夫と体力をつけてもらうことが大切です。
アナリスト工房 2016年4月11日(月)記事