マイナス金利の効果がマイナスの理由

「ほんの少数の冷静な判断力のもちぬしは、ことごとく左遷された。結果は、常軌はずれのもっとも熱狂的な意見が通過してしまい、通過させることによって他の者は身分上の安全を得たことにほっとするのである。」

司馬遼太郎 著『坂の上の雲』文藝春秋(2004)

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2016年2月10日(水)アナリスト工房

先月29日、わが国の中央銀行はマイナス金利を導入することを決定。マイナス水準となるのは、民間銀行への貸出に適用される政策金利でなく、民間銀行から資金を預かる"日銀当座預金"の利子率です。

一般に、投資マネーは高い利回りを求めて高金利の通貨へ逃避するため、日本のマイナス金利は為替での円売り・外貨買いを通じて円安への要因となります。

また、国債など債券の利回りがマイナス金利の影響を受けて低下するため、市場ではマネーが債券から株式へ向かい株価の底上げ効果が期待されていました。

ところが、本件の公表からわずか1週間で、円安進行も株価反発もすっかり帳消されています。

2013年4月からの量的緩和(中央銀行の国債などの買い取りによる市中への資金供給)の規模急拡大も、2014年10月からの追加緩和(量的緩和のさらなる規模拡大)も、ともに導入決定時からしばらく円安・株高効果が持続しました。

一方、今般のマイナス金利政策はなぜ効果を発揮できないのでしょうか?

出口にふれたくない量的緩和と併用できる唯一の策にすぎない

日銀がマイナス金利を導入する背景には、さらなる追加緩和(量的緩和のいっそうの規模拡大)が困難な状況があります。その点が、すでに導入済みの欧州勢(ユーロ圏、スイスなど)とは大きく事情が異なります。

日本の新たな金融政策は、けっしてわが国のための最善の策ではなく、実はこれまで採用されずに残っていた副作用の大きな劇薬にすぎません。

大規模な量的緩和がはじまった2013年4月以降、日本の政府債務残高は53兆円増加したのに対し、政府債務をまかなう国債の日銀の保有高は200兆円も膨張(2015年12月時点:*)。なんと3.8倍の"財政ファイナンス(国債の大半を中央銀行が引き受けること)"です。

財政ファイナンスの規模が2倍を超えていることから、けっしてわが国のための緩和策ではありません。経済・財政規模のより大きな国を救済することが目的とみてとれます。ちなみに、米国のGDPは日本の3.8倍の規模(2014年)です。

日銀がいまの勢いでの量的緩和(年80兆円の国債買い取りでの資金供給)を続けた場合には、2017年半ばに国債買い取りが限界となります。

そのとき、国債価格の急落とともに金利が跳ね上がり、円の急騰とドルと株価の暴落を招く可能性が高い。

そこで、量的緩和終了の時期を早めてしまうさらなる追加量的緩和ではなく、いまの緩和のペースと両立可能なマイナス金利が新たに採用されたと見うけられます。とはいえ、来年には限界となる量的緩和からの出口戦略の説明がないままでは、新たな政策手法は市場の懸念を払しょくできません

押しつけられた愚策は副作用のオンパレード。効果は不発

量的緩和が国家財政の規律を失わせ政府債務を膨らませるのに対し、マイナス金利は国債利回りを低下させ国債へ向かう投資マネーを減らす要因となります。

すなわち、この新たに打ち出された金融政策は、わが国の債務をまかなう国債が消化できなくなる危険をはらんでいるのです。

また、日銀当座預金のマイナス金利が民間の貯蓄金利の低下さらにはマイナス化を招き、預貯金の将来の額が従来の金利水準の場合よりも目減りします。

そのとき、財布のひもを締める国民の消費需要の減少を通じて、モノとサービスの価格低下すなわちデフレが復活する可能性が高い。

よってマイナス金利政策は、そもそも日銀自身の掲げる物価目標(年2%のインフレ進行)と矛盾すると考えられます。

1月29日の日銀の金融政策決定会合では、追加緩和を決めたときと同様に委員9人のうち4人も反対しましたが、マイナス金利が採択されてしまいました。反対した冷静な判断力をもつ委員のうち2名は、6月までに退任予定です。

リーマンショック(2008年の米国発の金融危機)に続く新たな危機に突入しつつあるなか、国内外から強いプレッシャーを受けているわが国は、とんでもない常軌はずれの意見を通過させなければならない状況に追い込まれていたと見うけられます。

危険を冒して劇薬を飲み込んだにもかかわらず、直後から円高・ドル安と世界的な株安が加速しており、市場が期待していた効果は不発に終わりました。

昨年11月まで日欧の緩和マネーが基軸通貨と先進国株式の価格を強引に押し上げてきましたが、いま世界的な金融危機の訪れとともにファンダメンタルからの適正価格への是正が進んでいます。

わが国が世界一の金融大国の救済を図るのは「寄らば大樹の陰」の発想かもしれませんが、デフォルト騒動を繰り返すその大樹はすでに立ち枯れています(騒動後の米債務問題はいっそうヤバい)。

すでに実質破綻している大国との無理心中に至る前に、日本のためになる主体的な金融政策を取り戻したい!

アナリスト工房 2016年2月10日(水)記事

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*)日本の政府債務残高は、2013年3月末が992兆円、2015年12月末が1,045兆円(財務省の公表データ)。政府債務をまかなう国債の日銀保有高は2013年3月末が125兆円、2015年12月末が325兆円(日銀公表のB/Sに基づく)。