緩和策は続けるな(高橋是清の教訓2)

「予算閣議で高橋蔵相は『ただ国防のみに専念して悪性インフレを惹き起こしその信用を破壊するがごときことがあっては、国防も決して安固とはなりえない。・・・これ以上は到底出せぬ』と主張した。(中略)2.26事件で高橋是清が暗殺された後、軍事費の膨張を賄うために国債が野方図に発行されていくことにつながってしまったのであった。」

松元崇 著『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』中央公論社(2009)

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2014年7月10日(木)

1936年2月26日未明、中橋基明中尉の率いる近衛歩兵第3連隊第7中隊は、高橋是清蔵相の私邸に突入。「天誅」と叫びながら、就寝中の蔵相を拳銃で射殺のうえ軍刀で何カ所も斬りつけました。

高橋蔵相が暗殺されたのは、当時の財政を圧迫していた軍事費の膨張を厳しく抑えたことが原因です。

悪性インフレ(社会の混乱を伴う過度の物価上昇)を防ぐために、財政支出増加のペース拡大を絶対に許さない蔵相の態度が、軍の将校クラスの強い反感を買っていました。

とはいえ、そもそも満州事変(1931年9月−32年2月:中国東北部をめぐる日中の武力衝突)に伴う軍事費の大幅増額をまかなうために、禁断の金融緩和策を積極的に推進したのが高橋蔵相です。

軍拡に大きく貢献しているにもかかわらず、いったい彼はなぜ軍人に惨殺されたのでしょうか?

今回は、その理由を順を追って説明するとともに、現代に活かしたい高橋是清の教訓を前回に続きもう1つ紹介しましょう。

満州事変で勝利した日本軍は、占領した満州を治めていくために、兵備・資材などの出費が拡大。わが国の軍事費(一般会計歳出の前年度比)は1932年度が52%増、翌33年度が26%増と大きく膨らみます。

そこで32年11月、歳出の増加に対応するため高橋蔵相は、"国債の日銀引き受け"に踏み切ったのです。

現代の量的緩和では中央銀行が政府の発行した国債を市場で買い取るのに対し、当時の日銀引き受けでは政府が発行する国債を市場を経由させず日銀へ直接売却する方式をとりました。

量的緩和と同様に日銀引き受けは、財政支出のために必要な額が調達できるメリットの一方、それに依存した場合には財政規律が失われます。

また、中央銀行の国債購入代金の支払いは通貨供給量(マネーサプライ)を増加させるため、1円当たりの通貨価値低下を通じて悪性インフレを招く危険も伴います。

その2点を危惧した高橋蔵相は、1934、35年度の軍事費の伸長率を1ケタに抑える(それぞれ前年度比7.6%増、9.6%増)ことで、両年度ともに国債発行と日銀引き受けの額を33年度に対し減額させました。

すなわち34年度からは、歳出の削減とともに「金融緩和の縮小」が始まっていたのです。

しかし緩和縮小の取り組みは、その本腰を入れようとした3年目に終止符が打たれます。

36年度の軍事費を前年度比わずか4.4%増にとどめたことが、急進派の陸軍将校の大きな怒りを買い、上記2.26事件での高橋是清暗殺を引き起こした次第です。

緩和縮小策の担い手が葬られてからは、歯止めが掛からなくなった軍事費は急速に膨張していきます。

日中戦争(37年7月−45年9月)が始まり、従来の一般会計だけでなく新たに特別会計の歳出も組まれ始めた37年度は、なんと前年度の3.0倍の額に膨らみました。

また、歳出全体の過半数に達した軍事費は、以後のわが国の財政規律を完全に喪失させます。

政府債務残高のGDPに対する比率は、36年度が64%に対し、太平洋戦争(41年12月−45年8月)の開戦後の42年度が105%、44年度には204%。破滅に至るまで暴走を続け、生前の高橋是清が危惧していたとおり、終戦後の悲惨な悪性インフレを引き起こしたのです。

以上、緩和策はいつまでも続けると財政破綻を招くため、必ず早期に終えよ。それこそが、高橋是清が自らの命に代えて示した、もう1つの教訓といえましょう。

なお政府債務を調達するための国債は、その日銀引き受け分を除けば、国民の預金(郵便貯金を含む)が預け入れ先の金融機関を通じて買い支えていました。

しかし、敗戦で財政が行き詰まった政府は国債を返済できません。そこで1946年2月、"新円切り替え"とともに"預金封鎖"を実施したのです。

マンネリ緩和が招いた預金封鎖とは?」へ続く

株式会社アナリスト工房

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<参考文献>

・松本崇 著『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』中央公論社(2009).

・富田俊基「1930代における国債の日本銀行引き受け」(『知的資産創造2003.7号』野村総合研究所).